ハッピーマザーズ・デイを本気で考える

私の母は看護師です。
彼女が専門学校を卒業してからずっと40年以上、准夜(16時~深夜2時)、深夜(深夜0時~9時まで)、日勤(9時ー17時)の3シフトでずーっと看護婦と呼ばれていた時代~言葉狩りで看護師と名称が変わってからもずっと働いてました。

上記のシフトで忙しく家族の為に働いてくれた母。
小さな頃、学校から帰ってきて母がもう既に家にいて
「おかえりー」といってくれるのが本当に貴重で、そんなときは急いで台所にいる母の元に駆け寄っていき、料理のお手伝いをしたり、邪魔したりして甘えていました。
太陽のような存在の母が大好きで大好きで。

ある日、学校から帰ってきて、しばらくすると母が帰ってきた。
いつもより遅い時間に帰宅した事にどうしたのかな?とおもいつつそんなことよりも、幼かったため、2階から急いで迎えにいっていると母は両手いっぱいに買い物袋を抱えていた。
ごはんだ、ごはんだー
「今日のご飯なに?」
とおかえり!よりも先に聞いた私。

「お母さん、仕事で疲れてるの!」

突然の予想外の展開にとてもショックで2階にもどって母に聞こえないように泣いたのを覚えてます。
でも
その日は、私の大好きだったハンバーグにスパゲティが食卓に。
母がとてもやさしかったのが印象的でした。

仕事を始めてお金を稼ぐ大変さを学び、それだけでも大変なのに、個性豊かな娘三人とこれまた九州男児の夫を抱え、毎日の洗濯、人数分のお弁当、朝食、夕食、掃除、お茶碗洗い。

きっと其の日は『色んな事』が重なったんだと思う。

そんな母を、わかって慮れなかった自分。
自分が、当時の母と同じ歳に近づくに連れ、この時のことを思い出すと胸が痛い

当時母は自分にお金を使いませんでした。
化粧品もいつも同じ。
服もいつも同じ。
エステはもちろん、マッサージもいかず。

ポケベルや携帯や服などの嗜好品は一切受け付けてくれませんでしたが、ワタシたちの塾やピアノなどの教育にはお金を惜しまずに与えてくれました。
多感な思春期にはそんな母をケチだなーといやに思ってたこともあるけれど、今では勉強の機会を与えてくれた両親に感謝しきれません。
小さな頃はいつも母が家にいなくて、寂しくて、専業主婦のお母さんを持つ同級生がうらやましかった。
けれど、家にいなくても、母はいつもワタシたちを想い、とても愛に溢れた幼少時代だったのだと今はわかる。それは、大学時代も社会人なっても、今も変わらない。
一緒に暮らしてはいないけど、ワタシたちは母の愛に囲まれて生きている。

お母さん、有難う。
大好きだよ。生まれてから、思春期でひどいことを言ってたときも、可愛くなかった時も、離れて暮らすと選択した今も、これからも。ずっと。

ハンバーグの夕食のあの日に戻ることはできないけれど、今からの母との関係を大事に大切にしていきたい。

皆さんは、今日お母さんに「有難う」と伝えましたか?

といろんな事を思い出し、感情高ぶって母に電話をした私。

私「お母さん?のんちゃんやけど。。。母の日おめ。。でとう」

母「あぁん?!のんちゃん?!はいはい!ありがとうね!切るよ!揚げ物しとーけん。じゃねッ」

ツーツーツー

ウッ!ま、まさかの・・・・

裏切らないねッ!
毎日が、ハッとしてグー☆

はっぴーマザーズディ。